大学時代が一番楽しい

生き生きと青春を謳歌

心を聞いて相手がいつでも入ってきやすいように、心を開いておく。そうすれば友だちがあなたの心に入ってくるチャンスがきっとある。自分で心を閉ざしていては、真の友だちがいたとしてもふれあうことができない。それは私自身の体験でもよくわかっている。私は小学校の二~三年の二年間、初期の結核で寝ており、ほとんど学校に行かなかった。同じ年頃の子供たちと遊ぶこともなく、まわりは大人ばかり。頭でっかちになり、その後学校に戻っても、どうしてもうまく友だちの中にとけ込めなかった。いつも疎外感があり、私ひとり友だちの中で浮いていると思えた。中学、高校、大学と10代のほとんどを、私はそういう思いを抱いたまま、悶々としていた。他の人たちはみなを使って楽しそうで生き生きと青春を謳歌しているのに私一人が暗い穴の中に落ち込んでゆく。努力してクラブに入ったり、友だちの輸の中に入ってみるのだが、気がつくと一人ずれてしまっている。

当時のクラスメートに話をする

ところが、そんな思いを抱いていたと、当時のクラスメートに話をすると、「とてもそんなふうには見えなかった」とみなが言う。他の人の目には、私も同じように楽しげに映っていたのだろうか。一応、行動はみなと共にしてみるのだが、みんなが熱中するものに一人同調できない。いつも冷めていていつも孤独だった。私だってずいぶんと努力はした。高校ではダンス部や音楽部、大学では同人雑誌などに首をつっ込んではみたが、ほとんど喋ることをしなかった。ほんとうは人恋しくて、友だちが欲しくて仕方がないのに、とけ込めず、人の中にいればいるほど孤独だった。中学・高校の場合は目の前に受験がぶらさがっていて、ともかくやらねばならぬことが山ほどあった。自分の気分に甘えている暇はあまりなかったからまだ救われた。ところが、大学に入り、目の前にどうしてもせねばならないものがなくなったとたんに、どうしていいかわからなくなった。たいていの友人たちは受験勉強から解放されて、クラブ活動に、学生運動にと、目を輝かせているのに、私ひとりはなにも手につかない。なにかに熱中できる友だちが妙に子供に見え、私ひとり傍観者だった。

当時から学生の数が多かった

大学時代が一番楽しいだの、キャンパスライフは最高だったなどという人の言葉が私には信じられない。私はいつも孤独で、人にとけ込めず、ウツ状態であった。朝、高田馬場駅からバスに乗って早大正門前で降りる。早稲田は当時から学生の数が多かった。

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